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Posted by チェスト at

2020年12月09日

三つ揃い?

 8月の暑い盛りに更新してこの気まぐれ雑記帖は大サボタージュに。
それでもお訪ねくださる方々が・・・・・。失礼お許しください。

しかしこのチェストのブロガーは1万以上のメンバーが登録。
なのにサボっている私のブログにアクセス順位は300位前後。???。
しかもそのアクセス数9万を超えて!・・・・・。
同類ブロガーの存在に変な仲間意識が・・・・・。

 今年もいよいよあと3週間余り。
この辺りでお訪ねくださる方々への失礼のお詫びを兼ねて更新再び。
この歳になると三か月余りいえ四か月のサボりはアップする手順を忘れてしまって手間取ること!、情けない・・・・・。

 歳と言えば、私去る12月7日に喜寿を迎えました。メールをくださった友人に感謝ラヴ
あとから気づいた事、そう7という数字が7,7,7並んだのです。
パチンコでなら大儲けするところです。
夫と宝くじでも買えばよかったと話すことでした。
 
 ということで単なるサボりの無更新でした。
歳をとっていただけでいたって元気でした。
但しコロナ禍での生活は何もかもが変わりそうで、罹患するのを防ぐことは勿論、収束を迎えた時の変わるであろう生活の変化、人間の変化、経済の変化にこのアメー婆はその特性を生かして残り少ない人生を!と思案中です。

 皆様コロナウイルスとご縁なきようお過ごしください。
もちろん私もです。
他人事ではありません、陽性と判明してからがあらゆる意味で大変な状況に陥る疫病です。
来年はコロナが収まり、明るく穏やかな年となりますよう願ってやみません。

 どうぞ佳い年をお迎えください。
皆様の健康とご多幸をお祈り申し上げております。
  


2020年07月28日

やっとの

 梅雨明け、待っていたのかいなかったのかどうでもいいけど、
二週間遅れだそう・・・・・。
コロナ禍は世の中のすべてを一変しつつその勢いは増すばかり。
当県は九州で福岡に次ぐ感染者の数、さすがにクラスターが起きた時は、
目に見えないこの敵に身構えました。
そしてそれはそのまま続いています。

 所轄の担当大臣が「もう元には戻れない」といった一言の意味の重さは
如何ほどのものか・・・・・。
戦前生まれで戦後育ちの私、戦争の記憶は殆ど皆無耳で聞くだけでした。
ただ、少しだけ長く生きている分戦後の豊かでなかった時代から物心共に
落ち着いて?きた日本、やがて飽食の時代を経て現在に至る日本を私なり
に想うこともあります。
その想うことは時の流れの中での出来事、一言では言い表せません。
過ぎた時代が良かったとか良くなかったとかではなく、過ぎた時代のあとに紛れもなく現在があります。

「時は金なり」、「時」は結果的に進む方向をも導きます。
点と線で「時」を想うとき、点の「時」が連なって線となりその線の「時」を時代と言うのではないかと私なりに想っています。

どうも今生きている時代の方向はこれでいいのか?と思っている矢先のコロナ禍でした。

「もう元には戻れない」「元」とはいったいどんな「元」なのか
考えさせられる一言として、コロナ禍での唯一の私のミッション?と捉え少し考えてみようと思うことでした。
残り少ない人生の時間しかしステイホームで暇な時間?を利用して!。


  


2017年09月19日

秋 【Ⅰ】

 台風18号のコースは予報段階ではもしこの通りになったら大変!、と
早めにしっかり構えたところでした。
ほぼ予報のコース通りではあったけれど少しずれたことで、雨風共に甚大な被害に遭われた地域の方々には申し訳ないくらいあっけなく近くをかすめて?行ってしまいました。その後の被害の大きさに驚くばかり・・・・・。

気象の大きな変化を感じずにはいられない現象に、「天災」とだけでは片付けられないものがあります。
先ず早くからの自然破壊から始まり地球温暖化の加速・・・・・。
底に流れるのは渦巻く人間たちのエゴ。その結果が「恩恵」という言葉に
置き換えられるのなら私自身もその恩恵を甘受?している一人、確実な共犯者です。
地球が悲鳴?を上げているように思われてなりません。
老い先短くても?未来を憂います。私は考えますどうすれば?と。
組織で考えれば「他人事」になりそうだし・・・・・。
そう、これは個人個人が草の根的に生活を見直す・・・・・。
方法は手っ取り早いのが、不都合は排除して限りなく昔の生活に戻ること。
あぁ難しいことです。アナログとデジタルの両方を経験した人は易いかもしれません。しかしデジタルの時代に生を受け育った人には困難でしょう。
悩みます。あまりの変化が人そのものを変えたから。
昔、時計の読み方を知らない大学生の存在を聞いた時はもうびっくり!
笑えなかったです。そこには成長過程に関わった大人の責任を思いました。

私は時々タイムスリップしたような疑似体験を想像して、その時代の生活に
思いを馳せる遊び?の時間を持つことがあります。
笑われること必死で書きますが、蛇口をひねると安心安全な水が出てくる、
水道が無かった昔はどうしていたのだろう、ましてや温かいお湯が出てくるにいたっては何於か言わんやです。
まぁこんな小さな身近なことでも考えると面白いものです。
それが何になるの、って言われそう・・・・・。
電気もそう。一日24時間という事実は昔も今も全く変わらないのに
利便性だけを追い求め自分が自由に使える時間が増えた?。
時短という利便性は評価に値するものではあっても、かえって忙しくなった生活があるのでは?。
得たものが失ったものより大きいとイイけれどその反対では寂しい限りです。
生活そのものの基本の基本を見つめ直す、そこから始める姿勢、私は賛成です。
現に驚愕とも言える生活を実践している方もいます。例えば電化製品いっさい無しの生活。
そこまでは無理と思う時は、一つでも、と思います。
私もそこまではと思う方なので、電子レンジを使うことを止めシコシコと蒸し器愛用者に変身、チンと言ってくれないので頃合いを見計らうことが脳トレ?になっています。
洗濯機も大物洗には使っても普段は手洗い、指の運動になっているのではと楽観的に楽しんでいます。
こんなことではどれだけ時間が必要なことか!、でも偉いことでもない難しいことでもないことから始めなくては悪化の道をたどるのみです。

しかし変なつまらないおかしな更新になってしまいました、お笑いください。






  


2016年04月08日

今時の買い物

 実は先月のプチ旅行で鳥取砂丘を登る時前につんのめってしまい、
オンにしたままのカメラを砂の中に・・・・・。
それもレンズ側が砂に・・・・・。
あわててオフにしたりオンにしたりしてもシャッターが閉じたままに・・・・・。
無理に指でこじ開けても完全には開かず、あと一日もあるのに困ってしまいました。

 帰宅した翌日修理に持って行ったら「修理代で同じレベルのカメラが買える」と言うのです。
私の場合はカメラが趣味ではなく、下手な文章をカバーするのにこれまた下手な写真で補うこのブログに欠かせない大事なアイテム?です。
脳トレのつもりでもあるブログをすぐに閉じるつもりはないので、それならと買うことにしました。でも夫が何かの記念日にプレゼントしてくれたカメラでした。
そう、思い入れたっぷりのカメラでした・・・・・。

 「思い入れ」といえば、以前やはり思い入れのあるお気に入りの腕時計を修理に持って行ったら、同じことを言われたのを思い出しました。
その時ムッとした私は「思い入れのある時計だからそんな簡単に言わないで」と言って修理に出したのです。

 国民性の違いがあるかもしれませんが、英国のバーバリーの店では傷みの早い袖口の補修を快く受けてくれ、利用者が多いとの記事を読んだことがあります。
使い捨ては美徳?の風潮がいつの頃からか一部耐久品の域にまで及ぶなんて。心が宿った品物はそう簡単に捨てられるものではありません。
貧乏ったらしいと思われても。

 その後、旧カメラはシャッターの調子も良くなり(自然に)、新カメラも届き、
都合2台のカメラ持ちになりました・・・・・。なんだか微妙に複雑です。

出雲大社おみくじの行き場。
  


2013年08月31日

8月31日の記事

 29日、RO♪ONはルストの例会「高橋竹山・津軽三味線演奏会」が
ありました。

八月も終わりに近づき、朝夕秋の気配を感じるこの時にタイミングの良い
例会でした。

厳しく過酷な自然と生活の中から生まれた津軽三味線、
情念のこもった激しく、弱々しく、力強く、官能的な響きは
ジャズにも通じるものを感じた私でした。
そしてそのことは外国での演奏会でも回を重ね、好評を得ていることを納得させてくれました。

ピアニストとの息の合った演奏も自然体で違和感なく、ト―クを交えながら
舞台と客席の空気を融合させてくれたのでした。

ところが!ところがですよ!佳境にさしかかり、これから演奏に入る
正にその時、私の真後ろの席で携帯が高らかにウサギオ~イシ、カノヤマ~の「ふるさと」の曲を奏で出したのです。
その音は舞台にも聞こえて行ったらしく、ピアノと三味線も携帯が鳴り終わるまで小さく「ふるさと」の曲を合奏してくださいました。
これって何だったのでしょう。最高の思いやり?最大の皮肉?警告?。
他の席からも着信音の音が・・・・・。

RO♪ONの演奏会に限らず、どの演奏会でも開演前や休憩時間後の開演前には携帯の電源をオフにするようにマイクで流れます。
毎回のことなので「もう必要ないのでは」と思っていたのですが、
とんでもないのでした。

この事は日常のすべてに通じることだと思います。
自分とは、又は自分には、関係無いことと聞き流すのか、無関心なのか・・・・・です。この事は大袈裟かもしれませんが、危機管理の希薄にも。
例えが良くないかもしれませんが、あの「振り込み詐欺」が良い例だと思いますよ。
最も私としては、世の中持っている人は持っているのだなぁと変な感心をするばかりで・・・・・。

おやおや、素晴らしかった津軽三味線の感想で終わりたかったのに
嫌みになってしまいました。嫌みに。

明日から九月!。
過ぎ行く夏を惜しみ、待ちわびた秋を楽しまれんことを!。
  


2013年06月01日

もっと他に・・・・・

 ドルフィンポートを前倒しして、その跡に体育館を建てると云う話。

単純に考えただけです、体育館建設そのものは反対ではありませんが、
あそこでなければいけないのかな?と思うのです。

ウオーター・フロントとしての景観は世界に類を見ない、と
常々誇りに思っています。
生活者としては困ることもありますが、活火山の桜島の存在。
豊かな錦江湾。
観光立県としてウオーターフロントとしての充実はまだまだこれから、
と思っていました。
当県は他の有名な観光地と比較して勝るとも劣りはしない、いやそれ以上の
観光資源を多く持っている、と思っています。
でも何かその資源を活かしきれていない感を強くすること多々です。

そう思うのは私だけでしょうか・・・・・。

 ボストンの園芸店の朝。


  


2012年01月25日

昨夜は

 ウクライナ国立 オデッサ歌劇場によるオペラ「トゥーランドット」でした。(RO♪ONも共催)

脳溢血で車椅子生活を続けている友人も一緒でした。

当初他の友人一人が付き添うことにしていましたが、私の経験上一人では大変だったので、

私もヘルプに。

時間に余裕をもって行動することにし、開演前に用足しも済ませることに。

その時のことです。

親切な若い男性のスタッフの方が、身障者専用の通路から案内してくださって目的の所に。

使用中でしばらく待つことになりましたが、もう用は済んでいるようなのに「アレッ?、アレッ?」

と小さな声が・・・・・。使い慣れていなかったのでしょう、扉がやっと開いて出て見えました。

そして車いすの彼女を見て、バツが悪かったのか小走りで去って行かれました。

そうなんです、どう見ても健常者用のほうで十分使用可能な方でした。

そういえば以前、「身障者用のお手洗いは広くて空いているからいいわよー」と

聞いたことがありました。ひょっとしたらこれだったのかも・・・・・。

広いのは訳があります、車いすも一緒ですから。

だからと云ってたくさんある健常者用は使わず、こちらを使うなんて言語道断です。

これからオペラを楽しむのに、もーっと思いましたが、始まったらたちまちそんなことは何処へやら、

「来てよかった、来てよかった、ありがとう」と車いすの友人は涙ぐんでいました。

付き添いの友人とそのヘルプの私も十分オペラを楽しめたので、始まる前のことなど消えていました。

この記事のために思い出した様なものです。お訪ね下さった方如何思われますか?。





な~んの関係もありませんが、

先ほど坪草畑から抜いた大根です。

出来あがりが約20センチ位になる種類らしい

のですが・・・・・、あと2センチ足りない?。

マリーゴールドをコンパニオン・プランツとして

植えたせいか根割れもせず出来ました。

それにしても植えた人に似て寸足らず・・・・・。
  


2011年10月25日

夫のお土産【Ⅱ】

 前の記事で妙円寺参りのことを書きました。
夫がボソッと云ったことです。

行進してきた老若男女の代表が、神社の境内で祭文を読んでいる時、
近くの特設?舞台ではフラダンスなどの披露があり、音楽なども聞こえてきて、
その同時進行に違和感を覚えたそうです。

妙円寺参りの存在は知っていても、詳しいことは知らない私、
ネットで調べてみました。
明治の初めまで続いた廃仏毀釈で廃寺になった妙円寺。
その跡に建立された徳重神社。
後になって徳重神社の西側に妙円寺は建立。
妙円寺参りと銘うって徳重神社に参拝する・・・・・。
このあたりに色々な問題をかかえている?ようです。

以前は島津義弘が関ヶ原の戦いで奇跡的な生還を遂げた旧暦9月15日
(14日とも)を新暦のその日にあたる10月末に妙円寺参りの日としていたそうです。
現在は参加しやすいように10月の第四土、日の二日間となっています。
進行をとり仕切る関係部署のほうで「お祭り」と「伝統行事」が上手くかみ合う形で
企画してくだされば、と思うのですが・・・・・。
人は過去を背負って未来に生きる存在、歴史の重みの感じ方は人それぞれ、
今流行りの「絆」と云う言葉は時の流れの真実の上にも育つと考える私。
夫のお土産話に耳を傾けながら、考えさせられることでした。
  


2011年06月30日

原発事故

がもたらした影響は、自分のなかでのと思うことが多過ぎて・・・・・。

報道の度にあの「津波」のように、もしかしたらそれ以上に見えない「放射能」は人間社会を破壊して行くのでは、と恐ろしい気持が増幅します。

「地震」「津波」だけでも想像を絶する悲惨さ、その上に原発事故による恐怖と喪失感がつぎつぎに上乗せされて、未だにこの私も心底目線を上げることが出来ません。

タカエビ食べに行き舌鼓を打ったことなどを記事にしてだしてもいいものか、

と常に相反する気持ちが交錯するこの頃です。

 昨夜のTVで、日本の原子力発電関係の最高顧問の方が述べていらっしゃいましたが、

これまでの日本の繁栄は原子力のおかげ、被災地の方々には申し訳ないが、

脱原子力では日本の将来は無いと・・・・・。他国に追い抜かれる、出し抜かれるとも。

原子力があっても無くても将来はやってきます。

今度の震災と原発事故を教訓に、国民が経済を、生活を、どのように考え直すかだと思いますが・・・・・。

以前、行政仕分けの報道であった「一番でなくてはいけないのですか?、二番ではダメなのですか?」と云うフレーズが浮かんできました。

トップだけを目指し、又トップに君臨した方には耐えられない事なのでしょうか・・・・・。

日本の優秀さは既に世界が認めるところ、余裕を持ってもうこのあたりで等身大?の日本に落ち着いて、

真の豊かさを求める方向に舵を、と思います。日本丸の船長は今何処にいるのでしょう。

現実に等身大に身を置くことはみじめで辛い事が多々あるかも知れませんが、

それは味あわなくてはならない「これまでのツケに伴う痛み」と思います。

考えようによっては大人になる為のプロセス。

豊かな人間性を育む教育、少子化問題も含めて若者が希望を持てる国、老後を安心して送れる国、

これらの事が普遍的に根底にあるならば、現在ある問題も解決できる方向に向かうのでは。
たとえ時間がかかっても。

効率、スピード化等にばかり目を向けて、その結果失ったもの、見えなくなったものは測り知れません。

もう元には戻れなくても、それに替わる何かを一から創り出せたら・・・・・。

長い時間をかけて今日ある日本、とても難しいことではあるでしょう。

今の日本に神様が試練とチャンスを下さっているように思えて仕方がないのです。  


2011年01月28日

春遠からじ

 日本列島は今年の冬、これまでに無い冬将軍の訪れにホトホト困っています。
異常積雪、異常乾燥・・・・・。
昨年の夏は猛暑の異常気象で、未曾有の水害に見舞われたり・・・・・。
日本だけの事だけでは無いようで、地球規模の異常気象が報じられています。
まさに天変地異そのもの?。
当地は活火山の活動が活発になり、とくに霧島の新燃岳は大変な事に。
義妹からメールがあり、ゴロゴロと地鳴りが不気味に強くなったり、弱くなったりして続いているとのこと。
都城辺りは所によっては灰に加えて礫まで降った、と報じていました。
桜島も毎日爆発を繰り返しています。今鹿児島はふたつの火山が活発に。
桜島は錦江湾を挟んでいるせいか、地鳴りをダイレクトに感じたことは記憶にありません。
地続きの所に住んでいる人は感じることでしょうが・・・・・。

自然現象とは言え大変なことになっている上に、口蹄疫の怖さがさめ止まらないところに
鳥インフルエンザまでが発生!。
計り知れない影響に無関心ではいられません。
自然と人が営む生活はサイクルとして繋がっています。
あるヒトが言っていました、「人間が天に唾をかけるようなことをしてきたお返し?」と。

一体どんなことをしてくれば?と思いますが、
利便性を追求するあまり、失われたり、忘れ去られたり、笑われたり?の事が決して少なくはありません。
不便さをブツブツ言いながら生活してきたほんの少し前の時代に、どんな不都合?があったというのか。
ということも含めて、地球の未来のためにも一度じっくり全てについて検証したほうがいいのでしょうか。

私としては利便と不便が同居?することが良いのですが・・・・・。二極分化?の恐れはありますが。
私にとって身近な物としての利便性の極み、とも言えるPCは、もう生活の一部と化していますから。
トッテモ複雑デス私自身。

坪庭の片隅に春の使者のひとり「フキノトウ」が寒さに震えて?いました。


もう少し、寒さに耐えることにしましょう。


  


2010年10月31日

黒いひつじは?



 昨日訪れた沢原高原の「アンの家」でのことです。

記憶力の良い夫が前来た時にいた黒いひつじの事を聞いたら、野犬に一匹残らず襲われ死んだとのこと。

その野犬、猟犬として飼われていたのが役に立たなくなって捨てられ野犬化したものだとか・・・・・。

つい先日TVのニュースで高級な犬種の犬が大量に捨てられていたことを報じていたのを思い出しました。

困ったブリーダーが捨てたのでは?と報じていました。

ご都合主義が目に余る時、日本と云う国の本質を自分も含めて見つめ直して、

客観的に判断してよい所は残し伸ばし、よくない所は改めてどうあるべきか

自問自答する必要があるのでは、と思うこと多々です。

よい所、よくない所どちらも多くあります。

簡単なようで難しい、しかしこのままでは成熟しないまま時を重ねてしまった大人の日本が・・・・・。

未熟な子供を育てるには成熟した大人が必要です。とてもとても難しいことです。