2011年06月25日

シンクロニシティ

と云う言葉をそれこそうん十年ぶりにブログのコメントへの返事で耳に、いえ目にしました。

日常での出来事では浅はかにも「偶然の一致」的に片付けていましたが、

どうにも私の身辺で起こることが、それで片付けるには納得が行かないことが多々・・・・・。

世の中「偶然」は無く、あるのは全て「必然」とのこと。

私と縁がある数人の友人はその「必然」を事前(昔から今に至るまで)に予感?キャッチ?している・・・・・。

この点は私と決定的に違うところで、時々言葉にならないほどの驚きが。

この世に生を受けて以来、あまりにも何も考えず、そして感じずに生きてきた自分、

この期に及んで苦しんでいます。「時は金なり」を痛感しています。

過ぎて行った時はもうどうにもならない、思い立った時が、いえ感じた時が吉日と思って遅まきながら、

残り火(無いかも・・・・・)を探して私の内なる世界に踏み入り、見つめ直す事が出来たら、と思っています。

とは云うものの勉強は嫌いだし、どうしていいかわからないので、私流の「ずるさ」を合理的に駆使?して、

前述の友人達との交わりを続けさせてもらい、鈍化している私の僅かな感覚に刺激を与えたい、

と考えているところです。

精神生活の貧しさ丸出しですが、せめて「気付き」の訓練をしたい・・・・・。

 今から書くことがシンクロニシティと云えるかどうか・・・・・。

今から四十年くらい前、小さな新聞の記事に目が留まり、書店で探してもらっても見つからなかった本の

著者が、一昨年NHKのドキュメンタリー番組(再放送)を見ていた時、主人公で出ていらしたのです。

あの本の著者の方だと確信しました。おぼろげな記憶のなかで、お名前に覚えが・・・・・。

新聞の切り抜きは何処かにいってしまってもずーっと心のどこかに在り、

本屋に行くと必ず探している自分がいました。

最近は記憶があやふやで書店の方に説明もできなくなっていました。

難しい本ではありません。実践から生み出された自然食の本で、農文協か家の光協会かの出版でした。

記憶が薄れて遠のいて、忘れかけた?いえ諦めかけていた時、出会いがありました、TVの番組で。

青森は弘前で「森のイスキア」を主宰なさっている佐藤初女さんです。

さがしていた本は絶版になったのでしょう、最近の著書だけしか見かけませんでした。

TVで、どんなことをなさっていらっしゃる方かも知ることができました。(「森のイスキア」で見て下さい)

私が驚いたのは、四十年も前から探し求めていたことに、巡り巡って出会えたことです。

それも特別な所では無く、ごく普通のシーンで。

内心、私にとっては驚きでした。思いが通じるとはこの事かと思いました。

「求めよ、さらば与えられん」とも。

「見ざる・言わざる・聞かざる」でも生きていける、でも同じ生きるなら「好奇心」と云う欲をフルに使って

生きたい。
シンクロニシティ

と云っても、人間僅かな事しか為し得ずにこの世を去ります。

私はその又うん十分の一の事しか・・・・・。いいんです!。

さぁ、ゆっくり急がなくては!。この短くて、太い足で、触覚で。









同じカテゴリー(思いだす事)の記事画像
懐かしみ
春の足音
始まりの時
本命日
三年前の今日
かき餅作り
同じカテゴリー(思いだす事)の記事
 懐かしみ (2021-07-08 17:26)
 春の足音 (2020-02-01 18:09)
 始まりの時 (2019-02-11 19:18)
 本命日 (2018-03-06 22:59)
 三年前の今日 (2015-05-18 11:01)
 かき餅作り (2015-01-05 15:58)

Posted by マーサ at 16:08│Comments(4)思いだす事
この記事へのコメント
おっしゃること良く分かります。
マーサさんもすばらしいものをお持ちです。

それより驚いたのは 2ヶ月くらい前かな 佐藤初女さんの「おむすびの祈り」
と言う本を 書店で偶然目にして 購入して 今手元にあったと言うこと。

私も 遠くからでも 青森の初女さんの森のイスキアのおうちを 拝見したいなあと思っていた所でした。
Posted by つつじ at 2011年06月26日 02:03
 つつじ様、おはようございます。

まさに「シンクロニシティ」!、「意味のある偶然の一致」「共時性」ですね!。

葉曼陀羅さあ【鹿児島弁で「様」のことを「さあ」と云います。】と別なルートで

つつじさんに繋がったのも、そうでした。

年を重ねると、若い時のたくさんの無駄?が削がれて、目の前の道が絞り込まれてある意味生き易くなる気がします。若い時の無駄はなるだけ多い方がいいのかもしれません。(その無駄が私少なかったかも・・・・・)
「無駄の効用」?と云えるくらい無駄をしていたら良かった、と後悔?も。
「生きていて良かった!」と思わせる、神様も粋な計らいをなさいます。

「・・・・・したい」と云うことが多過ぎて、残り時間が気になりますが、
「年甲斐の無い」と思われてもヘイキ!、足りなかった無駄をこれからも探します、味わいます。白髪の万年少女です。フ、フ、フッ。
Posted by マーサ at 2011年06月26日 08:54
はじめまして^^
ほんとうに、人間が生きている間にやれることなんてほんのわずかなんでしょうね。
若いころの無駄、、耳が痛いです(笑)
でも、ほんとう年々、シンプルにシンプルにと心がむいているような気がします。なんでもっと早くこの無駄に気づかなかったのー、なんでもっと早くこのやり方を実践しなかったんだろう、、と日々自分の馬鹿さ加減にあきれるばかりですが(^-^; 気づかないよりはいいですよね(笑)
シンクロは、ありますよね。 求めよさらば与えられん ですよね^^
長々と失礼しました^^
Posted by miya at 2011年06月26日 09:45
 miya さま、はじめまして、おはようございます。

私の稚拙なブログをお訪ね下さいましてありがとうございます。

いつでもどこでもぐっすり眠れるので、大体どんなタイプかお解りでしょう。

よろしくお付き合いくださいませ。

 所謂「無駄」に直面している時は色々、様々で無駄と認識できないのかも・・・・・。今だからこそ見える。

私の信条のひとつが「何も無いよりあった方が良い」です。

それも艱難辛苦の類であればあるほど・・・・・。

その時は修羅場であっても、必ず振り返ってみる時がやってきます。

その振り返ってみることが出来る物は大きな財産だと思います。

金剛石なんぞに負けない財産です。(例えが良くない?)

例えば「恋」、無いよりあった方が絶対にイイ!と思いますが・・・・・。

オッと、普段はおとなしい?のですが、云いたい事が無いわけではないので、

ついおしゃべりに。おいおいメッキが剥がれることでしょう。では又。
Posted by マーサマーサ at 2011年06月26日 11:23
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
シンクロニシティ
    コメント(4)