2011年12月10日

福島の

リンゴが高槻に住む姪から届きました。

毎年、契約しているりんご農家から直接送られてくるのです。

その前に、11月姪から福島のりんごだが送ってもいいか、と打診があり、

私は一も二も無くいい旨の返事をしました。

僅かばかりの義援金のお見舞いだけで、為す術の無いことにもどかしさを覚えていたのです。

大変な思いをなさっている農家の方々のお気持ちに、少しでも添う事が出来ればと・・・・・。

しかしこれ位のことで(姪に失礼?)は、何の足しにもならないでしょうが。

ご高齢のご夫婦が作られるりんごは蜜がたっぷり入っていて、待ちわびるほど美味しいのです。
福島の

福島の

りんごと一緒に手紙が添えてありました。

 
ふじりんごに寄せて
 この季節に立ち、変わりなく励んで収穫を迎えられたこれまでの人生があたり前であったのに、愛しく幸せであったことをつくづく思い起こします。
3・11の大震災そして原発事故は私たちの住むこの福島に計り知れない打撃、悲しみ、悔しさ、失望・・・は怒りで言葉には尽くせません。人類史にはあってはならない人災なる汚点となりました。地震、津波の大きさは勿論、私の友人は行方不明のままです。
しかし原発事故は再び決して日本、世界中に起きてはならないと訴えずにはおれません。
みなさんも毎日、テレビ、新聞から福島の惨事を知らされていることでしょう。
私は叫びたいです。
「福島県民は何を悪いことをしたというのですか」と。
あの村民丸ごと避難を余儀なくされた「飯舘村」は私のあこがれの村でした。
地産地消、自給自足を基本とした村のあり方、村民をヨーロッパなどに研修に出して心(精神)を育てて来た村です。避難先でも続けておられますが、考えると涙がこぼれてしまいます。
 さて、温暖化のせいかもう12月に入るというのに、霜も二度程降ったのに、畑のトマトがまだまだ青々と葉を繁らせているのです。りんごはやがてこの地では作れなくなるだろうとの予報があります。この気候のせいと思いますが、なかなか蜜入りが遅れておりました。まわりの方々は放射能のこともあり高値も期待できないのだからとすっかり収穫を終えた畑もあります。我が家は相変わらず品種ごとに米は玄米、八分づきと分析センターに送り、放射能値を測ってもらって来ました。そして最後の「ふじ」の分析結果を待ちわびておりましたら、ポストに入っていまして神に祈るおもいで封を切りました。何と幸せなことに「不検出」との文字で目がうるみました。しかし検出限界があるのでゼロにはならないと考えられます。それでも我が家の主力品種にこの結果が出たことに食べて下さる方々を思い胸をなでおろす気持ちです。
またりんごには放射性セシウムを排泄する作用があることを知り、誠に救われる思いです。
今年のりんごは変形が多いこと、着色がよくないこと、せめて蜜入りは大丈夫かとは思います。
食べて下さる方々も含めて「ありがとう、ありがとう!!」お礼申し上げます。
何卒みなさまご自愛くださいますように。
  〇何もかも変わらず実るこの秋の深処にひそむセシウム怖し

2011年 晩秋

原文のまま掲載しました。



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Posted by マーサ at 19:20│Comments(2)無題
この記事へのコメント
おはようございます。

福島のリンゴ。マーサさんが美味しく召し上がってくださって
またこうしてリンゴを育ててくださった方の声もご紹介くださって
嬉しく涙の出る思いです。
福島県民の一人として、心から感謝申し上げます。
ありがとうございます。

原発の恐ろしさはいのちにかかわる、子どもたちの未来も奪う。
そして、このように同じ人間同士で差別や腹の探りあいを始めている今、
なんと人は弱くちっぽけなものかと改めて思います。
人の手にあまる巨大なものは、もういりません。
当地でも国会に送る「さようなら原発」の署名を集めております。

このリンゴ農家さまもどうかお元気で、と祈らずにはいられません。
Posted by ハル at 2011年12月12日 10:50
 こんばんは。
朝夕はそれなりに冷え込み、昼間はともすればジャケット無しでも平気?な鹿児島です。
気温の差が激しいのも困りものです。

このりんご農家の方はいつも手紙を添えて送ってくださいますの。
今までは、ごく普通の挨拶文に気象条件の変化やりんごの出来栄えなどをしたためておいででしたが、今年は違いました。

何度も読み返しました。
この私が、如何ほど先方のお気持ちに添う事が出来るのか分かりませんが、
被災地の現状から発信される生の声無き声を、悲痛な叫び声を、りんごの購入者だけが目にする手はない、と
私のブログを訪ねて下さる方のお目に留まるだけでも、と思いお許しも得ず載せてしまいました。
文面から伝わってくることは、読む側夫々の受け取り方で千差万別です。
ただ一つ言えることは、ひとたび事故に見舞われた時の原発の恐ろしさです。それも火災の鎮火のように、ただ火が消えるのとは訳が違い、全てが負の世界に向かう、エンドレスに。

代替エネルギーの開発と共に、一方で私達も原発に頼らなくても営める生活を見直さなくてはなりません。
そのことはある意味後戻り?の生活にもなることでしょう。
極端な例ですが、洋式水洗トイレでしか用が足せない子供達がいます。そんな子供たちは昔の生活には戻れません。昔の生活そのものを知らないし、体験していないのですから。核家族と云う形は継承が希薄です。
TVで見たのですが、ある町か村で、過疎化対策として戸建ての公営住宅を建設し若い家族対象に募集をかけたら、なかなか思うように集まらないので、調べたら前述のトイレの問題だったのです。その後、改善?したら集まった、ということでした。考えさせられます。

不便、きつい、など昔の生活も、便利、楽など今の生活のどちらも経験している世代が元気でいるうちに、「どげんかせんといかん!」と云う気持ちになるこの頃です。おせっかいではない私までが・・・・・。
Posted by マーサ at 2011年12月12日 23:39
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