シンクロニシティ

マーサ

2011年06月25日 16:08

と云う言葉をそれこそうん十年ぶりにブログのコメントへの返事で耳に、いえ目にしました。

日常での出来事では浅はかにも「偶然の一致」的に片付けていましたが、

どうにも私の身辺で起こることが、それで片付けるには納得が行かないことが多々・・・・・。

世の中「偶然」は無く、あるのは全て「必然」とのこと。

私と縁がある数人の友人はその「必然」を事前(昔から今に至るまで)に予感?キャッチ?している・・・・・。

この点は私と決定的に違うところで、時々言葉にならないほどの驚きが。

この世に生を受けて以来、あまりにも何も考えず、そして感じずに生きてきた自分、

この期に及んで苦しんでいます。「時は金なり」を痛感しています。

過ぎて行った時はもうどうにもならない、思い立った時が、いえ感じた時が吉日と思って遅まきながら、

残り火(無いかも・・・・・)を探して私の内なる世界に踏み入り、見つめ直す事が出来たら、と思っています。

とは云うものの勉強は嫌いだし、どうしていいかわからないので、私流の「ずるさ」を合理的に駆使?して、

前述の友人達との交わりを続けさせてもらい、鈍化している私の僅かな感覚に刺激を与えたい、

と考えているところです。

精神生活の貧しさ丸出しですが、せめて「気付き」の訓練をしたい・・・・・。

 今から書くことがシンクロニシティと云えるかどうか・・・・・。

今から四十年くらい前、小さな新聞の記事に目が留まり、書店で探してもらっても見つからなかった本の

著者が、一昨年NHKのドキュメンタリー番組(再放送)を見ていた時、主人公で出ていらしたのです。

あの本の著者の方だと確信しました。おぼろげな記憶のなかで、お名前に覚えが・・・・・。

新聞の切り抜きは何処かにいってしまってもずーっと心のどこかに在り、

本屋に行くと必ず探している自分がいました。

最近は記憶があやふやで書店の方に説明もできなくなっていました。

難しい本ではありません。実践から生み出された自然食の本で、農文協か家の光協会かの出版でした。

記憶が薄れて遠のいて、忘れかけた?いえ諦めかけていた時、出会いがありました、TVの番組で。

青森は弘前で「森のイスキア」を主宰なさっている佐藤初女さんです。

さがしていた本は絶版になったのでしょう、最近の著書だけしか見かけませんでした。

TVで、どんなことをなさっていらっしゃる方かも知ることができました。(「森のイスキア」で見て下さい)

私が驚いたのは、四十年も前から探し求めていたことに、巡り巡って出会えたことです。

それも特別な所では無く、ごく普通のシーンで。

内心、私にとっては驚きでした。思いが通じるとはこの事かと思いました。

「求めよ、さらば与えられん」とも。

「見ざる・言わざる・聞かざる」でも生きていける、でも同じ生きるなら「好奇心」と云う欲をフルに使って

生きたい。


と云っても、人間僅かな事しか為し得ずにこの世を去ります。

私はその又うん十分の一の事しか・・・・・。いいんです!。

さぁ、ゆっくり急がなくては!。この短くて、太い足で、触覚で。







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