悲しい
知らせが今日届きました。
聞き覚えのない声に誰かしら?と思いましたが、丁寧な挨拶のあとで友人の娘さんであることが・・・・・。
高校の三年間、同じクラスで共に学び共に遊んだ友人が、今年の一月に亡くなり、49日も済ませたと云う訃報の電話でした。
埼玉の娘さん一家と暮らしていて、二年前に久しぶり来鹿した折、一緒に食事をしたのが今となっては最後となりました。
肝炎を患っていたので気にはなっていたのですが、12月の末に入院、退院できるつもりでいたのが急変して・・・・・。
まだ早すぎる死に言葉もありませんでした。生きていることで一番辛い事に思えます。
彼女は繁華街のど真ん中に住んでいて街中の中学校から、私は同じ市内でも田んぼや畑が残る通学路を通う中学校から高校へ入学したのでした。
名簿が前後して続き、しかも三年間一緒、7人兄弟の末っ子同士で甘えん坊、街中出身と田園地帯?出身、さばけた彼女とぽやぁ~んとした私、すぐに友達になりよく遊びました。
特に繁華街のど真ん中に住む彼女の家に遊びに行くのが嬉しくて、喫茶店に出入りすることも彼女の手ほどき?でした。
見てはいけない?映画(スエ―デンやフランス映画)を制服のままでよく見たものでした・・・・・。
喧嘩をしたり仲良くなったり多感な青春時代、朱に交わって赤くなったのはどちらかと云うと私の方でした。
まだ早すぎると言っても、ひとり、ふたりと櫛の歯が抜けるように同級生が亡くなりだす年齢になろうとしています。
でも、よりによって彼女が先に逝くなんて・・・・・、信じられません。
埼玉と云えばこの大震災の影響を多大に受けている所、お見舞いのひと言を言い忘れて受話器を置いた私でした。合掌。
生前、彼女が好きだった水仙の花、昨日撮ったばかりでした。
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