別当寺のこと

マーサ

2011年01月17日 13:06

 先日詣でた神社のことで、私なりに知ることがありました。
何回も詣でたことのある霧島東神社、これまではただ詣でていただけの自分でしたが・・・・・。
神社の入り口近くに護摩壇が設けてあり、不動明王像に梵字、何やら仏教の香りが漂っているのを、単純に神仏混合?で良い事だ、くらい思っていました。突き詰めればそういうことでしたが。



そこは錫杖院と称された別当寺(1868年4月、廃寺)だったのです。
代々の住職が眠る墓地もあり、墓石に自然石を用いているのが特徴だそうです。
この事は現地案内板に明記したあったようで、私は斜め?に読んで把握していませんでした。

【別当寺】について
明治新政府による廃仏毀釈(神仏分離)が行われる以前、日本では古来からの神道と
伝来宗教である仏教が宗教の対立を避け、調和を求めて同じ信仰体系を構築してきました。
別当寺とは神仏習合説に基づいて神社に設けられた寺のことで、
神前読経など仏式の祭祀が神社内で行われ、
それを行う者を別当(社僧)と呼んだことから別当のいた寺を別当寺といいます。
(神宮寺・神護寺・宮寺なども同義です。)

霧島六社権現の別当寺
霧島東御在所両所権現(霧島東神社)/錫杖院 
霧島山中央六所権現(霧島岑神社)/瀬多尾寺
西御在所霧島六社権現(霧島神宮)/華林寺 
狭野大権現(狭野神社)/神徳院
東霧島権現(東霧島神社)/勅詔院  
夷守六所権現(夷守神社)/宝光院
〔霧島六社権現は、10世紀半ば、比叡山の性空上人により、霧島山の周囲に寺社が配置された。〕







神仏一緒に祀ってあります。














森の階段を登る参道の途中にある護摩壇?









宗教の対立を避け、調和を求めて同じ信仰体系を構築していた日本、
精神生活のクオリティーの高さを感じます。
現代の日本に、世界の各地に取り戻したいことに思えます。

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