これでもか、これでもか、と日を追うごとに大震災の被害は増えています。
ブログの記事にいただいたコメントの返事に、気持ちを伝えるに留めていましたが、こみ上げる負の感情を抑えきらず更新することに。
恐怖、驚き、悲しみ、切なさ、やりきれなさ、もどかしさ、類を見ない喪失感等々、日本全国の皆さんが共有する感情ではないでしょうか。
茫然自失、大津波にさらわれた我が家の跡に立ち尽くす被災者の方、肉親を亡くした方、探す方・・・・、言葉もありません。
大自然の脅威に人は為す術を持たず、ただ祈るだけです。
もうこれ以上の事は無い、と云うくらいに打ちのめされた被災者の方々に追い打ちをかけるかのように起きた原発の事故。
想定不可能だった巨大地震と大津波は天災、想定不可能だったとしても原発の事故は人災です。
国の発展とエネルギーの需要は正比例、難しい問題です。エネルギーの需要に応じて、原発の存在?。
この事故で原発が供給している電力に、人の生活はしわ寄せがくる位依存していることを知り驚きました。
どちらかと云うと、推進派ではない私、ではどうすれば?とよく考えます。
甚だ消極的で時代錯誤も甚だしい、と云われても仕方の無い考えなのですが・・・・・。
それは
「限りなく昔の生活に戻ること」なのです。現代の生活は電気を多く使います。
とても便利です。
いったん味わった便利な生活を全く捨て去るのではなく、不都合ではないと思われる昔の生活を戻し入れるのです。
流行りの「スローライフ」は、いくらか昔の生活が取り込まれているのでは?。
豊かな?時代に生まれ、不自由なく育った世代に、昔の生活を求めるのは酷です。知らないのですから。(大人も責任あり)
でも、昔の生活を体験、実感、記憶している世代が元気です。出来ない事ではないと思います。
例えば、電動鉛筆削り機を使わず、ナイフ(小刀)で鉛筆を削る。昔は当たり前のことでした。
エッ、怪我をする?。ナイフの使い方を教えないから、リンゴも剥けない人がいるのです。
余計なことですが、器用な日本人が不器用になった原因のひとつだと思います。
こんな小さい事から始めて、電気の力ばかりに頼らない生活を提案したい私です。
先ず自分は、だれでも既に実行している
「節電」を
徹底して実行することに。
PCも節度ある使い方をすることに心掛けます。